Short Story…





Short Story No 26




大きく、深い穴があった。
その穴は、残暑の眩し過ぎる陽射しも届くことなく、暗く、冷たい。
そして、湿気が篭っている。

どのくらいの深さなのかは全く見当がつかない。
何しろ、底が見えないのだから。

昔は、井戸として使われていたのだろう。
穴の底には、少しばかり水が溜まっているように思える。

穴の周りに人工物はなく、木々が生い茂っていた。
その、木々の青々とした葉の何枚かは、仄かに色を変え始めようとしている。
それはまるで、少し早い秋の訪れを知らせているようだった。

近くには小川があり、清らかな水が流れをつくり
魚が優雅に泳いでいる。

月が替わり、本格的な秋が訪れれば、
銀杏や紅葉が色とりどりに自己主張し、
遠くの県道から眺める誰かの目を、きっと楽しませてくれることだろう。
もし、ここが私有地でなければ、多くの観光客や、
キャンプを楽しむ家族連れも大勢いるはずだ。

耳を澄ませば、小鳥のさえずりが聞こえてくる。

別段変わりない、山の風景。
ただ一つだけ、変わったことがあるとすれば
その穴から、誰かのすすり泣く声が聞こえるってことだけ。
でも、きっと、もうすぐ聞こえなくなる。




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