Short Story…





Short Story No 36
天井



八畳の部屋に明るい笑い声が響き渡る。


女は、嬉しそうに、何かに向かって話しかける。
まるで幼児のようなその口ぶりは、その子に同調意識を求める為だろうか?
夫と別れてからというもの、その子だけが女の生きがいだった。
全てだといっても過言ではないだろう。

髪は寝癖のまま、化粧もしない。
ひとえにその子の可愛さがなせる業だ。

ベビーベッドから、その子を取り出すと、自分の腰骨と、おなかにまたがらせる。
首が座っていないため、女は両手で背中を支える。
動かないので退屈だし、疲労するけれど、幸福な時間。
その時間を過ぎると次はミルクの時間だ。
その子をベビーベットに寝かせ、ミルクの準備をする。

母乳の出ない女は、ポットから哺乳瓶に湯を注ぎ、ミルクを溶かす。
しばらく冷ましたあと、哺乳瓶を床に置くと、
左手でその子を抱き、ひじを枕代わりに頭部を支え、ミルクを与える。

機嫌が悪いのか、新しく変えた哺乳瓶の口の部分が嫌いなのか、ミルクを飲まない。
女は、その子の口内に少しだけミルク流し込んだ。

パッチリと開いた眼を右の指で閉じさせ、子守唄を歌う。
誰もが聞いたことのある優しげな歌とメロディ。
その子は、眼を閉じたままだ。

オムツは汚れていない。
うっすらとベビーパウダーの香りがした。


今はあまり見ることの無い、古い黒電話が、大きな音を立て、鳴り響いた。
だが、その子は目を覚まさない。
女は急いでその子を、ベビーベットの中に入れる。
その衝撃でその子の瞼が開いた。

受話器をとる。
久しぶりに、母親からの電話だった。
久しぶりに聞く母親の声はなんだか寂しげだった。
そして、女を気遣っていた。

そんな母親の話を聞きながら、女は近くの鏡を見る。

映し出された顔には疲労の色があった。
光の当たり具合のせいかと考え
女は、受話器を持ったまま少し移動し、視点をずらす。
やはり、その顔には疲労の色が隠せない。
鏡に映った女の背後には仏壇が映っている。

仏壇には先週事故で亡くなった夫、そして、一人息子の遺影が飾られている。


ベビーベットの中、その子は、瞬きもせず、
ただ天井を見つめたまま、静かに笑っている。




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